2012年 01月 05日
そろそろ始動? (^^;) 3 |
5日木曜日、Kさんからメール、事始めの寄合酒を開くからと言うことで初出。んじゃあとデリスタで缶ビールと唐揚げ、コロッケなど買い込んでTプロの事務所へ。Kさんと二人、ビールで乾杯。今年はまた動かんとあかんやろうし、いろいろ頭が痛いね。

ともあれ、緑川。(^^;) リクエストしたらKさんがわざわざ買って来てくれた。この酒もうまい、喉越しが良くてスイスイ飲めてしまう。

この日も電子書籍から、Bisiness Mediaの「京極夏彦さんに聞く、電子書籍の将来は?」。
自炊代行といえば、「米国にもある“自炊代行”:Bound Book Scanning」というエントリーを見つけた。
ほんで最後は「新春暴論 ――『幸福』な若者を見限ろう」。
2012年、天満橋からの最初の夕景。


ともあれ、緑川。(^^;) リクエストしたらKさんがわざわざ買って来てくれた。この酒もうまい、喉越しが良くてスイスイ飲めてしまう。

この日も電子書籍から、Bisiness Mediaの「京極夏彦さんに聞く、電子書籍の将来は?」。
――出版社を通さず、作家が配信先と直接契約を結ぶ形も想定されるのでは?著者の側からの“編集”へのエール、出版社は“自炊代行”で騒ぐ著者より京極さんのような人の提言にこそ耳を傾けるべきじゃないの。最後の「漢字検定ごとに漢字の量を変える」なんてアイデアは面白いよね、いずれ教科書なんかに生かされそうな気がする。(^^;)
「考えられる。ただ、小説は書いただけでは誰も読まない。(紙の本の場合)装丁され、本という商品になって流通しないと完成しない。紙の質からインク、活字の種類に至るまで目配せの効いた商品のほうがいいに決まっている。それは編集者の仕事。出版社はソフトを作る上で『自分たちが必要なんだ』という自覚をしっかり持ってほしい」
――今後電子書籍は商品としてどうあるべきか
「紙の本のまねをしないことが大事だ。昨年の段階では勘違いの人が結構いて、『紙の本の質感そのままです』といっていたが、それなら紙の本を買えばいい。縦組みがいいのか横組みか、背景の色はどうするのかなど検討部分は山ほどある。どう読ませるかが大事で、文章の読みやすさを含めた見せ方を考えていかないといけない」
――今後、電子書籍にどう取り組むつもりか
「要請があれば、電子書籍に特化した作品を書いてみたい。例えば、同じ文章でも、漢字検定3級、4級と級ごとに漢字の量が変わるとか(笑)。こういう紙の本では絶対できないアイデアがいくつか出てきて、『書いてください』といわれたらやる気が出る」
自炊代行といえば、「米国にもある“自炊代行”:Bound Book Scanning」というエントリーを見つけた。
利用者(北米のほか海外も可)が、BBSに本を送ると、通常3日で原本とファイルを送り返してくれる。原本を棄損しない非破壊型のサービスのほかに、より低額の破壊型(断裁してフラットベッド・スキャナを使用)、逆により慎重に取扱う(オーバーヘッド・スキャナ使用)オプションもあり、稀覯本(きこうぼん)の電子化のニーズにも対応する。価格体系は2つに分かれており、低料金の破壊型(原本は廃棄)の場合は、最初の1冊が$13.95で、ページ料金が5セント。追加は1冊あたり$8.95。非破壊型(無料返送)では、最初の1冊が$21.95、ページ7セント。ふむ、アメリカにもあるんですね。結局ここでもニーズはユーザーの側の使い勝手ということなんでしょ、本をバラバラにしてでも電子化することで有効利用したい、好きな本だから本は破壊したくないけどいつも手元にハンドリングしたいから電子化したい、さらに貴重な研究資料だから原本は保存しておいて日々の扱いは電子化したものを利用したい、まさにニーズはさまざま、で、「著作権法規の遵守は利用者の責任です」ということね。これで実際、どれほど“著作権違反”のトラブルがあるんだろうか。もう一つ、視覚障害者のためのオーディオブック作成も“スキャン代行”の内に入るというのんがすごいね。これは日本の今までの“自炊代行”騒ぎの中で、完全になかった視点。言われて初めて、なるほど本をスキャンして電子データとしてコピーする、何のために、そして“本”は誰のものか、という根源的な問いが湧き上がってくるよね。
同社のサイトでは利用者の例として、書籍蒐集家、教育・学術機関、重い教科書を電子化したい学生、アルバムを電子化したい同窓会サイト、オーディオブックを利用したい視覚障碍者、自作を電子化したい著作者などを挙げている。これを見れば、スキャン代行はこの時代に必要なサービスであることを納得できる。ちなみに、BBSに対する著作者からクレームは確認されていないが、FAQには、「著作権法規の遵守は利用者の責任です」と書いてある。
ほんで最後は「新春暴論 ――『幸福』な若者を見限ろう」。
わたしたちはもう、実りのないおせっかいはやめて、自分たちの世代のことだけ考えよう。とはいっても、もちろん自分自身の子や孫のことは気になる。もし彼らが社会のリーダー層に入りたいというなら、自分の身を削ってでも、10代のうちによい教育を施してやりたい。世界のどこに行っても暮らしていけるように。 しかしそのためには、幸福な20代にではなく、いまのうちに、わたしたちの世代に手厚く資源配分がなされなければならない。逆にもし、子や孫がニコ動と幸福に暮らせればそれでいいというなら、それを生暖かく見守るしかない。せめて、力強く引っ張ってくれるリーダー層の人材を海外から迎え、優秀な彼らに未来を託そう。それでいい。(笑)これも「自己中の古市さん」から触発された“暴論”やね。面白い。さて、次はどこからどんなふうな反応が出てくるのかしらん、山口さんも最後に、
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、 「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(も ちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)書き記しただけのことだ。だから、年金の問題にせよ、外国人労働者の問題にせよ、わたしがこうやって書いたりするまでもなく、事態はもう、この方向に流れはじめている。幸福な若者たちをあてにしない社会への移行は、徐々にはじまっているのだ。
しか し、こういってみてもおそらく、すでに幸福な若者たちには響かないだろう。わたしたちの世代が、先人たちの蓄積をつぎこみ、彼らの将来の糧を先食いして、 それを(幸福な彼らとちがって)不幸な私たち自身の「逃げ切り」のために使ってしまったとしても、彼らに「幸福な階級社会」の「二級市民」として生きる自由だけを残したとしても、彼らは恨みには思うまい。それはわたしたちやその上の世代が「した」ことの結果ではなく、大人である彼らが、自身の幸福のため に、できたはずのことを自ら「しない」と選んだことの結果であり、その時点ですでに受け入れていた未来だからだ。
居酒屋談義は別として、意義ある議論をしたい向きは、そろそろ「次」の段階に進むべきかと思う。率直な議論自体は必ずしも有害ではなかろうが、むき出しの利害や反感の衝突となると、あまり生産的な結果にはならない。世代間の資源配分の問題はきちんと議論する必要がある課題だが、そのためには、こうした通俗的世代論を超えた、より大きな社会的合意をめざす議論が求められよう。と書いているしね。
古市氏も、若い書き手の「生存戦略」として、通俗的若者論へのカウンターパンチを選択した(あるいは出版社から求められた)、という部分があるのだろう。ど れほど売れたのかは知らないが、これだけ話題になったということは、その狙いはそれなりに成功したのではないか。わたしなどはとても及ばない優れた才能の 持ち主であることは、「本書」を読めば誰にでもわかる。ご本人は、「想像力の豊かな人間ではない」としていて、ご自身の「身の回り」だから若者を論じたと書かれているが、その才能を世代論(しかもとびきり通俗的な)で費やしてしまうのはなんとも惜しい。ぜひ社会に広く共鳴を呼び、世代を超えて連帯のきっか けとなるような、そんな次作を期待したい。
2012年、天満橋からの最初の夕景。

by toshiax | 2012-01-05 23:29 | Comments(0)













